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名曲の提供⑦(HOPE by MAJOR MUSIC)

Pto6(ぴーとろっく)です。

本日は2016年3月11日。5年前のこの日、日本に痛ましい震災が起きました。今回は、私の中で今でも“あの日”の記憶を繋いでくれている楽曲をご紹介したいと思います。震災後、チャリティを目的に集結したアーティスト達により製作された楽曲【HOPE】です。


【HOPE by MAJOR MUSIC】



2011年3月11日14時46分18秒。その時私は、東京の埋立地、豊洲にいました。その日初めて訪れたとある企業の高層ビルの中で揺れを感じ始めた時、私はまだ笑みを浮かべる余裕があったことを覚えています。

その揺れはどんどんと大きくなり、いつまで経っても収まる気配がありませんでした。その頃には、私もやっと事の重大さに気づき、浮かべていたはずの笑みもすっかりと消え去っていました。そして、あたりまえのことですが今思うと、その時ですら、本当の意味での事態の深刻さには、まだ気づいていなかったのです。

結局、私はその日初めて訪れたそのビルで、一夜を過ごすことになりました。まだまだ余震が続く状況の中、それでも空腹には耐えられず、夕食を食べようと近くのコンビニにまで足を運ぶと、そこには、全ての棚からあらゆる食料が消え去った異様な光景が広がっていました。唯一まだ在庫があったらしいホットスナックのフランクフルト。それを調理する小さなホットプレートの前には、長い行列ができていました。そこでは、フランクフルトが焼かれては売れ、焼かれては売れの、いつ途切れてしまうかわからない消耗的サイクルが繰り返されていました。私はその列の最後尾に並び、長い時間を過ごしました。ビルに戻る帰り道、寒空の下で噛み締めたフランクフルトの味は、今でも思い出すことができます。

通信障害が比較的回復してきた深夜頃、家族や友人から送られた私の安否を気遣うメールが、やっと端末に受信されました。その返信をすべて済ませたところで、私の携帯電話は遂に力尽きてしまいました。その時、同じ境遇でその場に居合わせた見知らぬ誰かが「なんだこれは」と、小さな悲鳴をあげました。彼が手にした携帯電話には、津波で家が流される東北の映像が映っていました。私はやっとこの時、揺れの大きさから勝手に関東だと思い込んでいたこの地震の震源地が、関東ではなく宮城県沖の太平洋だったということを知りました。「私たち以上の被害にあっている人達がいる。」その衝撃の事実に、体の震えが止まらなかったことを覚えています。

次の日、結局一睡もできなかった私は、早朝から一夜お世話になったビルを後にし、帰路にたちました。JRの駅は人で溢れかえり、ホーム内は立ち入り規制がされ、私はそこで列に並び、永遠とも思える長い時間を過ごしました。数時間後、遂に乗り込めた列車は、あたりまえのように満員でした。乗客にもみくちゃにされる悪状況の中、寝不足と空腹で疲れてきっていた私は、突然激しい吐き気を催しました。列車は出発駅を出て、まだほんの数駅しか進んでいませんでした。私は、数時間を費やしやっとの思いで乗り込んだ電車を、たった数分間乗っただけで降りざるを得なくなりました。

降りたホームの駅から家までは、まだまだ果てしなく長い道のりがありました。しかし、吐き気は治まらず、状況的にも電車に乗ることを諦めた私は、無謀にも、徒歩で家を目指す選択をしました。途中、あまりの空腹に倒れそうになりましたが、ほとんどの店が扉を閉めており、例外的に開いていた店の前には、長い行列ができていました。歩き始めて三時間ばかり。道路の標識で現在の位置を確かめると、家まではまだ絶望的な距離が残されていることを知りました。

結局、私は徒歩での帰宅を諦め、再び駅に向かうことにしました。駅に着くと、列車を待つ人だかりは、午前中と比べ比較的少なくなっていました。その後、なんとか鈍行列車に乗り込んだ私は、やっとの思いで家に帰り着くことができました。家では家具が倒れ、壁には小さなヒビが入っていました。私は、そんな散らかった部屋の中で携帯電話に充電器を差し込むと、無事に家に着いた旨を家族にメールを送り、そのままベッドに倒れ込みました。

major

これが、私があの日体験した出来事です。東北の方々が体験された“被災”の過酷さとは、もちろん比べ物になりません。おそらく、あの日東京の至る所で、私と同じような境遇の人たちがたくさんいたのではないかと思います。私はあの震災の話になると、そして今回ご紹介する楽曲【HOPE】を聴くと、今でもこのときの記憶を鮮明に思い出します。

震災から9ヵ月後にリリースされたこの曲を初めて耳にしたとき、KREVAのやさしい声が聞こえたとき、私は思わず涙を流してしまいました。そして、それが私にとって、震災後に流した最初の涙でした。

“俺でよけりゃ力を貸すぜ”

震災への寄付を目的としたこのチャリティソングは、プロデューサーHirOshima(MAJOR MUSIC)がプロジェクトを立ち上げ、それに賛同したアーティスト達によって製作されました。この曲の売り上げは、全額被災地の復興支援として、継続的に寄付されています。

<プロデューサー>
HirOshima(MAJOR MUSIC)

<参加アーティスト>
KREVA,
後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
Mummy-D(RHYMESTER)
SEEDA
三浦大知
KOJOE
宇多丸(RHYMESTER)
Lecca
Che’Nelle
EMI MARIA
Karibel
TENZAN


これだけ豪華なメンバーがいる中で、曲中最後のバースを受け持ったのは、仙台在住のラッパーTENZANでした。彼の言葉から痛いほど感じ取れる悲しみ、そしてそれでも口にする力強い希望の言葉には、いつ聴いても胸を震わされてしまいます。

“夢も街も絶対諦めない”

きっとこれからも、この楽曲が私と“あの日”の記憶を繋いでくれるだろうと思っています。そして、私はいつまでもこの曲を聴いて“あの日”のことを思い出すつもりでいます。

この曲は私にとって、そんな特別な意味を持った、とても大切な楽曲です。



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