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名曲の提供④(YES by 環ROY)

どうもPto6(ぴーとろっく)です。

今回は、“私的”名曲の第4弾をお送りしたいと思います。これまでは所謂“HIPHOPらしい”魅力を持った楽曲をご紹介してきましたが、今回はある意味“HIPHOPらしくない”ジャンルを超えた普遍的な魅力を持つ楽曲をご紹介したいと思います。

このブログでも以前ご紹介した<環ROY>のアルバム【ラッキー】に収録されている楽曲【YES】です。実はアルバム紹介時には敢えて書かずに、いつか別の機会に紹介しようととっておいた1曲でした。

【ラッキー by 環ROY】の記事はこちら

それでは、まずは聴いてもらいましょう。

【YES by 環ROY】


“なにげに鏡をみたら
なぜか自分ではなくて
君であることにある日気がついた
不思議だけど幻じゃないよ
すがたかたち何もかも違うけど
そこにいたのは僕だった”


ポップで繊細なトラック、ライミングではなく構成に重きをおいたリリック、メロディアスな“サビ”。『ラップミュージック』と自ら称する彼の音楽は、まさにHIPHOPという枠に留まらず、誰の心にもすっと染みこんでいくような普遍的な魅力をもっています。

私は、POPとHIPHOPに対するこの楽曲の絶妙な距離感に、堪らなく心地良さを感じます。それはきっとこの楽曲が、HIPHOPの上澄みだけをすくって仕上げた軽々しいPOPソングなどではなく、HIPHOPに対する大きなリスペクトと愛を持ち合わせ、HIPHOPというものを熟知した環ROYが、意識的にPOPに昇華させた楽曲だと思うからです。

高校受験の勉強中にラジオから流れてきた<BUDDHA BRAND>を聴いたのがヒップホップとの出会いという環ROYは、その後高校生になってからは、<NAS>や<DJプレミア>等、ニューヨークのヒップホップにハマっていきました。その後大学生の時に自らもラップを始め、その後レーベルに所属するまでになるのですが、いつしか“シーンのルールを踏襲しなければいけない”という『シーン・ミュージック』としてのHIPHOPに窮屈さを感じ始めるようになっていたそうです。

HIPHOPに対する愛情と、それゆえの苛立ち。そこから環ROYは「日本のヒップホップの枠を押し広げたい」という野望を胸に抱くようになります。HIPHOPの定義から敢えて離れてみる、そして時に原理的なHIPHOPに接近してみる。彼はこれまで作品を通して、様々なアプローチをしてきました。しかし、それは“HIPHOPという軸”があるからこそ。「イメージですけど真ん中には髪の毛より細いとしても、ヒップホップが軸として存在してると思うんです。」彼はかつてこう語っていました。

さて、この楽曲【YES】は、そんな環ROYが作詞に心血を注いで作成した楽曲です。「時間進行を明示した上で、具体から入って、どんどん観念の世界にいく」そんな力技ができた歌詞だと語っていました。以下は、この楽曲のリリック構成についての本人の解説です。

「1番のヴァースを4つに区切って、起承転結を作る。2番目のヴァースも4つに区切って起承転結を作る。さらに1番のヴァースは2つにも区切ってあって全体の起承にもなっている。同じように2番のヴァースも2つに区切って転結になる。」

セカンドアルバム【あっちとこっち】以降、作詞法を研究するようになった環ROYは、時間を操作する作詞の有効性に気が付き、起承転結の構造を取り入れ始めたといいます。そして“抽象”と“具象”をバランスよく取り入れることや、あるテーマを書く時のレイヤーに、もうひとつ別のレイヤーを重ねて書くという試みも、それ以降の楽曲では多く見られるようになりました。この楽曲においても、それらの技法は取り入れられています。

受け手が自由に解釈できる“抽象”と、骨組みとなる“具象”をバランスよく組み込むこと。たとえ10行しかない詞でも、行間を構築できたら100行分くらいの情報量になったりもするのです。受け手にそれぞれの文脈で間を埋めてもらう、そんな“適切な余白”を操作することが詞や詩をつくる上での技術であり、独自性であると環ROYは考えているそうです。

また、単なるラブソングっぽくも聴こえるこの楽曲ですが、その“出会いと別れ”というテーマの上に、“多様性”という別のテーマが重ねられています。この歌詞にでてくる「君」は“自分と同じ人とか似た人”であると解説していた環ROYは、「聴く人それぞれに解釈を任せたい」と前置きをしながらも、以下のようにこの楽曲について説明しています。

“同じ人とずっといるのは話も合うし、すごい楽しいんだけど、ずっとそこにいても別のグループにいる人とはわかりあえなかったり、話したりできないよねって。だから、何か物事を進めなきゃいけないときはずっと一緒にいられない。さようならしなきゃいけない、そのときは悲しいけど、そこから新しいYESが生まれるよ、大丈夫!っていう曲で。なんというか多様性の歌なんですよね。”

しかし、上記はあくまでも環ROYによるこの楽曲の解釈です。聴き手それぞれに解釈を委ねている彼の歌詞には、行間にそれぞれの文脈が入れることを許されており、楽曲解釈も聴く人の数だけ存在すると思います。現に私も昔、この楽曲の解釈について他の人と話し合ったことがあったのですが、それぞれ違った捉え方をしていて興味深いと思った記憶があります。それだけ、多様な解釈を生み出せる“適切な余白”が、しっかりとこの楽曲に残されているということだと思います。

環ROYYES

“極限まで煮詰めそぎ落とした言葉は実に雄弁だ”と、あるライターがこの作品について書いているのを見たことがあるのですが、まさにこの楽曲の魅力をよく表している表現だと思いました。

環ROY自身も「そもそも日本語って文字数をどんどん減らしてそぎ落としていくことが洗練に繋がる言語だとわかってくる。そういう面ではラップとの食合せがあまりよくないという葛藤はあった。」と語っています。ラッパーである彼だからこその葛藤ではないでしょうか。あるインタビューにおける、彼の日本語詩に対する解釈がとても興味深かったのでご紹介します。

“日本語って表意文字だなーって所に気付きました。それで、言語構造の中に表現をどんどん削ぎ落としていく性質を内在させているんだなって気付いたんです。短歌、俳句って、行間に沢山のイメージを突っ込んでいく遊びだと思っていて。俳句なんて計17文字しかないけど、メッチャ豊かな表現に持っていく競争みたいな。あと韻も凄く重要でもっともっと踏みたいんですが、日本語って文字数っぽいぞ。って気付きました。5文字とか7文字の音節で刻むと、一般的な口語表現から逸脱せずに割と音楽的にシュッとすることが少しづつ解ってきました。 ”


原理的なヒップホップの才能があれば、<ANARCHY>や<NORIKIYO>のような強烈なシグネチャーも持つラッパースタイルでやりたかったと、常々自身のスタイルを謙遜する彼ですが、柔軟に様々なミュージックとの融合を図りながら、作詞に対して真摯に向き合い、高次元な試みに挑戦し続けている彼は、現在のジャパニーズヒップホップ界において唯一無二の存在だと思います。まさに、日本人らしい進化を遂げているラッパーですね。

作家脳的な作詞法に重きを置いている環ROYですが、やはりラッパーとしてのライミングへの想いもあるようで、今後はこれまでの作詞法に、どうライミングのフィジカルさを融合させていくかが課題だと語っていました。次回作での彼の進化にも期待したいですね。

それにしても、この楽曲はずっと聴いていられる心地よさです。ちなみにこのMVも、環ROY自身を時計の針に例え、映像でも時間の移ろいを表現しているそうです。アーティストとしての拘りを映像作品からも感じることができますね。

では、今回はこのへんで。



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